青岸渡寺①|歴史・見どころ・ご利益・アクセス この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野三山の一角を構成しており、西国三十三箇所観音霊場の第一番札所としても名高い青岸渡寺の概観・ご利益・アクセスについて知ることができます。 概観 熊野三山の一つ、那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)は、4世紀ごろにインドから裸形上人(らぎょうし...
補陀洛山寺①|補陀落渡海船・ご利益・アクセス この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山の一角の古寺、補陀落山寺の概観・補陀落渡海船・ご利益・アクセスについて知ることができます。 概観 小舟に乗り、死を覚悟の上で南の海上にあるとされる千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)の浄土である「補陀落浄土(ふだらくじょうど)」...
本地垂迹説|本地垂迹説概観・反本地垂迹説|解説はじめに この記事では、中世の日本の神仏習合を支えた本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)についてその概観を知ることができます。 本地垂迹説に対する反論である反本地垂迹説についても簡単にまとめています。 概観 中世の日本における神仏習合は、主に本地垂迹説に基づいています。 本地垂迹説とは、仏や菩...
熊野古道|概要・歴史・諸道|解説 この記事では、熊野三山の神社群と寺社を結ぶ熊野古道(熊野参詣道)の概要・成立・発展について知ることができます。 熊野古道を構成する諸道についても解説しています。 熊野古道とは 熊野古道(熊野参詣道)とは、熊野三山に至るいにしえの参詣道のことを指しています。 紀伊半島南東部を縦横に伸びて張り巡...
熊野三山|由緒・神社・仏閣|解説 この記事では、「熊野」の由緒と熊野三山を構成する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社と青岸渡寺・補陀洛山寺の二寺について知ることができます。 「熊野」の由緒 「熊野」という地名が古文書に表れるようになったのは、奈良時代のことです。 712年に編纂された『古事記』、720年に編纂された...
紀伊山地の霊場と参詣道|解説 この記事では、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録に至った経緯と「紀伊山地の霊場と参詣道」の特質について詳しく知ることができます。 世界遺産登録の背景 「紀伊山地の霊場と参詣道」とは、上皇・法皇や貴族から武士、民衆まで広く人々の篤い信仰を集めた神仏習合(神道と仏教の混合状態)の聖地「熊野三山...
熊野詣|歴史・熊野御幸|解説 この記事では、熊野古道を歩んで熊野三山をめぐる熊野詣の歴史と皇族による熊野詣(=熊野御幸)について知ることができます。 熊野詣の歴史 熊野の地は古代より山岳宗教・修験道の聖地として知られていました。 平安時代から中世にかけて、上は皇室から下は一般庶民まで多くの人々が熊野の神々と仏のもとへ足を運...
熊野三山の神々と仏|解説 この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山の信仰のあり方について時代ごとに知ることができます。 熊野三山とは 霊場として著名な「熊野三山」は三重県・和歌山県・奈良県にわたる紀伊山地の南東部に位置しています。 相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」「熊...
熊野における神仏習合|解説 この記事では、熊野三山の位置する熊野の地における「神仏習合」の信仰について、その歴史と特徴を詳しく知ることができます。 「熊野」の概観 奈良や京の都から隔絶した熊野は、日本の中において長きにわたって別世界であると考えられてきました。 太古より熊野は死者の国・黄泉の国に擬せられ、死者の霊魂が住...
補陀落山寺④|補陀落渡海の実態・金光坊の補陀落渡海|解説 この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山の一角の古寺、補陀落山寺で行われてきた捨身行、補陀落渡海の実態と具体的な渡海僧の事例について知ることができます。 補陀落山寺③|補陀落渡海の背景|解説の記事の続きです。 補陀落渡海(ふだらくとかい)の実態 補陀落信仰に基づき、千...