神仏習合|神仏習合から神仏分離へ・神仏判然令と廃仏毀釈 この記事では、日本における神仏習合の概説と神仏分離へといたる過程・神仏判然令(しんぶつはんぜんれい)と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の経緯について知ることができます。 概説 神仏習合(しんぶつしゅうごう)とは、日本の神々と外来の仏菩薩の融合関係を表す思想・動きのことを指しています。 神仏習合のは...
本地垂迹説|本地垂迹説概観・反本地垂迹説|解説はじめに この記事では、中世の日本の神仏習合を支えた本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)についてその概観を知ることができます。 本地垂迹説に対する反論である反本地垂迹説についても簡単にまとめています。 概観 中世の日本における神仏習合は、主に本地垂迹説に基づいています。 本地垂迹説とは、仏や菩...
熊野三山|由緒・神社・仏閣|解説 この記事では、「熊野」の由緒と熊野三山を構成する熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社と青岸渡寺・補陀洛山寺の二寺について知ることができます。 「熊野」の由緒 「熊野」という地名が古文書に表れるようになったのは、奈良時代のことです。 712年に編纂された『古事記』、720年に編纂された...
熊野古道|概要・歴史・諸道|解説 この記事では、熊野三山の神社群と寺社を結ぶ熊野古道(熊野参詣道)の概要・成立・発展について知ることができます。 熊野古道を構成する諸道についても解説しています。 熊野古道とは 熊野古道(熊野参詣道)とは、熊野三山に至るいにしえの参詣道のことを指しています。 紀伊半島南東部を縦横に伸びて張り巡...
一遍上人①|熊野・一遍上人の遍歴|解説 この記事では、熊野本宮大社に縁の深い時宗の開祖、一遍上人の遍歴について知ることができます。 一遍上人(いっぺんしょうにん)の遍歴 熊野本宮大社と関係が深い僧侶として、時宗の宗祖と仰がれる一遍智真(1239~1289)を挙げることができます。 一遍上人は豪族である河野氏の出身で、四国の伊予国に生ま...
熊野における神仏習合|解説 この記事では、熊野三山の位置する熊野の地における「神仏習合」の信仰について、その歴史と特徴を詳しく知ることができます。 「熊野」の概観 奈良や京の都から隔絶した熊野は、日本の中において長きにわたって別世界であると考えられてきました。 太古より熊野は死者の国・黄泉の国に擬せられ、死者の霊魂が住...
熊野三山の神々と仏|解説 この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山の信仰のあり方について時代を追って説明しています。 熊野三山とは 霊場として高名な「熊野三山」は三重県・和歌山県・奈良県にわたる紀伊山地の南東部に位置しています。 相互に20~40kmの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」「熊野...
熊野詣|歴史・熊野御幸|解説 この記事では、熊野古道を歩んで熊野三山をめぐる熊野詣の歴史と皇族による熊野詣(=熊野御幸)について知ることができます。 熊野詣の歴史 熊野の地は古代より山岳宗教・修験道の聖地として知られていました。 平安時代から中世にかけて、上は皇室から下は一般庶民まで多くの人々が熊野の神々と仏のもとへ足を運...
紀伊山地の霊場と参詣道|解説 この記事では、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録に至った経緯と「紀伊山地の霊場と参詣道」の特質について詳しく知ることができます。 世界遺産登録の背景 「紀伊山地の霊場と参詣道」とは、上皇・法皇や貴族から武士、民衆まで広く人々の篤い信仰を集めた神仏習合(神道と仏教の混合状態)の聖地「熊野三山...
徐福|概論・徐福の宮・徐福公園|解説 この記事では、熊野地域に漂着し、この地方に先進的な文明をもたらした伝説を持つ徐福(じょふく)について知ることができます。 徐福を祀った「徐福の宮」と、徐福の功績を記念して建てられた「徐福公園」についてもあわせて解説しています。 徐福とは 徐福とは、中国の秦朝(紀元前3世紀頃)に仕えた著名な方士...