この記事では、三重県熊野市の古社、花の窟神社の概観・境内と周辺の様子・ご利益・アクセスについて知ることができます。

概観

 花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)は『日本書紀』及び『古事記』に記されている日本最古の神社といわれており、『日本書紀』のイザナギノミコトイザナミノミコトの「神生み」の舞台とされていることから、日本神話のルーツであるといえます。

 境内には社殿はなく、熊野本宮大社の母宮とされる花の窟が鎮座しています。

 この花の窟は熊野灘(くまのなだ)のはるか沖からでも見える高さ45mもの巨岩で、そのものが御神体となっています。 

『日本書記』によると、皇室の祖先とされる女神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の母神であるイザナミノミコトは火神のカグツチノミコトを生んだとき産道に火傷を負って亡くなり、この地に葬られたといいます。

  イザナミノミコトの魂を祀るため、土地の人々は花が咲く季節に花を飾りのぼりや旗を立て、笛太鼓を鳴らし歌い踊って祭りを行ってきました。このことから花の窟という名前が付いたのです。

 熊野三山の中心である熊野本宮大社においても、花の窟神社におけるのと同様に今も花を飾って祭りが始まります。

祭りに共通性があるんだね

 このことからもわかるように「花の窟」は熊野三山の根源とも考えることができ、日本の古代信仰において重要な意味をもった場所であるといえます。

 神代の昔より花を供えて祭るので花の窟とよびます。

 窟の頂上からかけ渡されているお綱は神と人とをつなぎ、神の恵みを授けてくれるお綱であると信じられています。

花の窟神社のお綱

 花の窟の巨岩は、神々の母であるイザナミノミコトが亡くなった後に葬られた御陵(お墓)と伝えられています。正面にある3mほどの穴が、イザナミノミコトのお墓であるといわれています。

イザナミノミコトを祀る祭壇

 

 平成16年7月は、三重・和歌山・奈良の三県にまたがる熊野古道などを含む「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産(文化遺産)に登録されました。

 古来からの聖地として、今もかわることなく全国から多くの信仰心のあつい参詣者を集めています。

境内と周辺の様子

 花の窟神社には社殿はなく、高さ約45mの巨岩そのものをご神体としています。

 主祭神はイザナミノミコトですが、同時に自然に対する太古からの信仰の痕跡をも残しています。

 イザナミノミコトの墓である花の窟と向かい合うように、その子カグツチノミコトの墓があります。

カグツチノミコトの墓

王子の窟(おうじのいわや)

 カグツチノミコトの神霊を祀る高さ12mほどの岩です。

 花の窟の巨岩の前にあり、カグツチノミコトがイザナミノミコトの子であることから王子の窟と呼ばれています。

徳川宗直寄贈の碑

 花の窟神社の鳥居の向かい側左手にある「花の岩屋」と刻まれた碑は、1723年に第6代紀州藩主の徳川宗直から贈られたものです。

 この碑の石には、和歌山県の紀の川で取れた緑色片岩という貴重な自然石が使われています。

徳川宗直寄贈の碑

 花の窟から北上すると、熊野灘に向かって咆哮する獅子の形をした獅子岩、坂上田村麻呂による鬼退治伝説が残る絶景、鬼が城などの「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する絶景が点在しています。

産田神社

 花の窟神社から西南に向かうと、死後、黄泉の国に赴いたイザナミノミコトのあとを追ってきたイザナギノミコトが死者となった妻イザナミノミコトの姿を見てしまったため、イザナミノミコトから追いかけられこの世へと逃げ帰って永別した黄泉の国への入り口と伝えられる産田神社があります。

 ここにも花の窟神社と同様大きな磐座(いわくら)があり、花の窟とともに熊野の自然に対する信仰、とりわけ磐座信仰のあり方を今に伝えています。

産田神社の本殿

ご利益

  • イザナミノミコト…子宝・縁結び・恋愛成就・夫婦和合・安産
  • カグツチノミコト…火難除け、厄除け、浄化 

アクセス 

〒519-4325 三重県熊野市有馬町130 

駐車場

 花の窟神社前には道の駅があり、駐車場を利用することができます。

参拝時間 

午前9時~午後16時

公式サイト https://hananoiwaya.com/hananoiwaya/iwaya_index.html

参考文献