熊野那智大社
この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する熊野三山の一角、熊野那智大社の概観・ご祭神・境内の様子・楠霊社胎内くぐり・那智の火祭り(扇祭り)・ご利益・アクセスについて知ることができます。
目次
概観
那智山の中腹に鎮座する熊野那智大社は、古来より「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」あるいは那智山熊野権現と称されてきました。
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)こと日本の国生みの女神イザナミノミコトを主神とし、熊野三山信仰にまつわる十二柱の神々を共に祀り、熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に熊野信仰の中核を担う熊野三山の一角として全国の熊野神社の総本社としての崇敬を受けています。

熊野三山信仰が確立する平安中期以前には、熊野那智大社はもともと新宮の熊野速玉大社の支配下にあったといわれています。
その後修験道の聖地となり、規模が拡大するにつれて独立した霊場とみなされるようになりました。
熊野那智大社における信仰はもともと那智の滝を神と崇める人々の原始的な自然崇拝を起源としており、現在でも那智の滝前には熊野那智大社の別宮として飛瀧神社(ひろうじんじゃ)があります。
那智の滝に対する人々の畏敬が信仰の起源なんだね
飛瀧神社の境内では、間近で那智の滝を参拝することができます。
この飛瀧神社から、317年に現在の熊野那智大社の位置(那智山中腹)に本殿が遷されました。

神社の創始については複数の説がいわれており、神武天皇が八咫烏(やたがらす)の案内で那智山中を経て大和(現在の奈良)の地に向かう途中、那智の滝を大己貴命(おおなむちのみこと)の霊代として祀ったのが那智山信仰の起こりであるという伝説が残っています。
『熊野年代記』によれば、那智山信仰の発展に関連して8世紀初頭の文武天皇の治世にインドから来た裸形上人が滝行の修行場を那智の地に開いたと記されていますが、実際には修験道の山岳修行者が中心となって修行場を開いたのであろうと考えられています。
那智の滝の周りのみならず、滝の背後にそびえる妙法山についても在家の仏教信者の修行場であったといわれています。
熊野三山の中で、最初に修験道の聖地として確立したのが那智山でした。
那智山には那智の滝をはじめとして四十八滝と称される滝の行所や岩屋の行所が多くあり、山岳修行に適していたことからここで多くの修験者が厳しい修行に明け暮れたものと伝わっています。
那智山は熊野三山の中でもとりわけ修行場のイメージが強いみたい
修験道における滝行は、行者がその心身を浄化し神仏の境地を得ようとして行われたものでした。
古来、那智では原始信仰のときから滝そのものが神格化されてきたところに特色があります。
熊野三山における神仏習合の進行にともない、 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)が広まった平安後期には修験道の隆盛とも相まって一の滝こと那智の滝は飛瀧権現と称されるようになり、その本地仏を千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)としました。
二の滝の本地仏は如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)、三の滝の本地仏は馬頭観音菩薩(ばずかんのんぼさつ)とされ、観音信仰の霊場として中世以降より大きな名声を集めるようになりました。



熊野三山信仰が隆盛し熊野那智大社が熊野三山の一つとしての地位を確立してからは、平安中期頃より上皇・法皇の熊野御幸が毎年のように行われました。
貴族階級による熊野の訪問が衰退したのちには、武士や庶民に至るまで「蟻の熊野詣」と称されるほど多くの参詣者が訪れるようになりました。
平家の頭領としてその名をとどろかせた平清盛は、熊野那智大社に対する信仰がとりわけ深かったようです。
平時より如意輪観世音菩薩の仏力による現世的な助力を祈願し、後白河法皇を那智に迎えて参詣した際には一族と共に参詣し、如意輪観音菩薩を本地仏とする二の滝を訪れて一族の開運招福を願ったと伝わっています。
熊野那智大社社殿および境内域は、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。
また、那智山一帯は吉野熊野国立公園の特別域としても指定されています。
473段の急な石段を登りおえると、境内の緑の古木の中に堂々たる赤い鳥居が見えてきます。 これが熊野本宮大社、熊野速玉大社とともに熊野三山を構成する熊野神社の総本社、熊野那智大社です。
石段を登りきるのは相当たいへんだよ

熊野那智大社の周辺には那智原始林が広がっています。
熊野権現の住まう社領として古来より聖域としての扱いを受けてきたことから、いにしえの自然の姿を今でも残しており、現在は国の天然記念物として保護されています。

那智の滝の背後にある妙法山(みょうほうざん)では、応照上人という僧が火定(かじょう=焼身による往生)したという記録が残されています。
応照上人は、焼身による往生を遂げた日本最初の僧で、『法華経』の「薬王菩薩本事品」における「自分の身を捨てることは如来への真の供養であり、法の供養の中でこれにまさる供養はない」という記述にまつわる捨身行を実践したとされています。
このことからも、那智山における信仰が修験道の強い影響のもとにあったことが分かります。
境内の様子
熊野那智大社は、標高約400mの那智山中腹に位置しています。
那智の滝から舗装道路を少し上がると、両脇に土産物屋が並ぶ長い石段があります。
この473段にも及ぶ石段の先には白砂を敷き詰めた境内が見え、熊野那智大社の朱塗りの社殿が厳かに立ち並んでいます。

社殿の造営は、造営奉行の平重盛によってなされたと伝わっています。
社殿は熊野権現造りによるもので、正面五棟・側面一棟から構成されています。
織田信長の焼き討ちによる消失のあと豊臣秀吉の寄進を受けて再建され、その後も修復を重ねて平成7年に国指定文化財の指定を受けました。
江戸時代は紀伊出身の将軍徳川吉宗が大改修をおこない、その後も定期的な改修を経て今日に至っています。
何回も再建されているんだね
別宮の飛瀧権現を加えた「十三所権現」を祀る熊野那智大社の荘厳な六棟の社殿は、切妻入りの熊野権現造りの古式を今に伝えています。
壮麗な社殿のほか、境内にはや神武天皇の道案内をした八咫烏(やたがらす)が戻って来て石に姿を変えたと伝わる烏がうずくまったような形の烏石(からすいし)、 白河上皇が植えたと伝わる見事な枝垂れ桜や藤原秀衡手植えのヤマザクラ、拝殿横には平重盛が植えたといわれる樹齢850年の大楠が枝を広げています。
境内の宝物殿には、那智の滝周辺の経塚からの出土品や熊野曼荼羅(くまのまんだら)が展示されています。
那智の地は、熊野三山の中で最も神仏習合時代の姿を今に色濃く残しています。
熊野那智大社のすぐ隣には、西国三十三カ所観音霊場の一番札所として著名な那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)があります。
明治新政府による神仏分離令以前には、青岸渡寺は熊野那智大社の観音堂としての役割を持つ神宮寺として熊野那智大社と一体のものとして崇敬を受けていました。

今日では境内は塀で仕切られていますが、今も往時の姿をとどめている印象です。
楠霊社胎内くぐり
拝殿横に備えられている「護摩木」「祈願絵馬」に自分の願いごとと氏名を記入し、これを持って樹齢850年余りを数えるという楠霊社の楠の胎内に入り、出口の護摩木・絵馬掛けに納めて祈願することができます。
護摩木は毎月の権現講祭に際し、焚き上げ祈願がなされます。




平重盛手植えの大楠だね
熊野那智大社境内 御縣彦社(みあがたひこしゃ)
祭神は、八咫烏(やたがらす)こと建角身命(たけつぬみのみこと)です。


八咫烏は、神武天皇を熊野から大和(今の奈良県橿原市)にまで案内したといわれるカラスであり、熊野の神様のみ使いとされています。
八咫とは大きく広いという意味です。
八咫烏は太陽の化身とされ、三本足は天・地・人を表し、太陽のもと神、自然、人が一体であることを示しています。

無事に道案内を終え役割を果たした八咫烏は熊野の地に戻り、熊野那智大社の地で石に姿を変えたと伝えられています。
導きの神様として、交通安全や道中無事のご利益に加え所願成就の御神徳があるとされています。
日本サッカー協会のシンボルマークとしても三本足のヤタガラスが使われています。
日本のサッカーの生みの親として著名な那智勝浦町出身の中村覚之助氏にちなんで、ヤタガラスがシンボルマークに選定されたといわれています。
藤原秀衡手植えのヤマザクラ
奥州藤原氏三代、藤原秀衡が熊野詣に際して奉納したと伝えられるヤマザクラで白山桜と呼ばれており、和歌山県の指定文化財となっています。
樹高は約15m、幹の周囲は約2mほどあります。

那智の火祭り(扇祭り)
那智の火祭りとして知られる扇祭りは日本三大火祭りの一つで、かつては「扇会式祭礼」と呼ばれていました。
現在は正式には「七月十四日例大祭 扇祭り 火祭り」と名付けられており、 和歌山県の重要無形民俗文化財となっています。
熊野那智大社の神々が12本の高さ6mもの扇神輿に移されて那智の滝へ里帰りする神事で、その際氏子が円陣を組んで石段を上がったり下ったりして、大たいまつの炎で邪気をあぶりだして清めるところから火祭りの名がつけられています。
重さ50kg以上もあるという大たいまつの炎が参道に乱舞するさまは壮観です。
伝説上の初代天皇、神武天皇の軍を土地の神が迎えたことを偲ぶ意味合いと、熊野の神々を那智の滝の袂から那須山中腹に遷したという遷宮をしのぶ意味合いをもっています。
最初に日本舞が舞われ、その次に田楽舞が舞われて最後に面白みのあるシテラン舞いが舞われます。
それらが終わると、いよいよ扇神輿の祭礼が始まります。
同じく熊野三山に関連する神社が複数所在する新宮市のお燈祭も火祭りであり、こちらは冬の夜に行われますが、那智の火祭りの場合は真夏の日中に催されます。
これら二つの火祭りは、熊野の自然崇拝と修験道の修行のあり方を象徴しているものといえるでしょう。
ご利益
- 熊野夫須美大神…子宝・恋愛成就・夫婦和合
- 熊野速玉大神…夫婦円満・縁結び・商売繁盛・家内安全・厄除け・無病息災・殖産振興
- 家津美御子大神…身体健全・病気平癒・技芸上達・必勝
- 建角美神…安産・育児・学業成就・延命長寿・交通安全・道開き・招福
- 千手観音菩薩…開運招福・病気平癒・夫婦円満・恋愛成就・延命・子宝
アクセス
〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
石段を登らずに駐車場まで行くことができる有料道路もあります。
駐車場
十分なスペースの駐車場が複数あります。那智の滝に近い民間の有料駐車場もあります。
参拝時間
午前7時半~午後4時半
公式サイト https://kumanonachitaisha.or.jp/