青岸渡寺②
この記事では、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野三山の一角を構成しており、西国三十三箇所観音霊場の第一番札所としても名高い青岸渡寺のご本尊・境内の様子について知ることができます。
本尊
青岸渡寺(せいがんとじ)の本尊は、如意輪観音菩薩(にょいりんかんのんぼさつ)です。
所願成就をつかさどる「如意宝珠」がヒンドゥー教の信仰において受肉した神様が仏教に取り入れられた観音です。複数の腕を持つその姿はその由来に起源しています。

西国三十三所巡礼札所の第一番札所として信仰を集める青岸渡寺は、神仏習合の風土のもともともと熊野那智大社と一体でした。そのため、寺の本堂は今でも神社の社殿と並んで建っています。
ここは江戸時代までは熊野権現の如意輪観音堂(にょいりんかのんどう)として崇敬を受けていました。

由緒は古く、4世紀にインドから漂着した裸形上人(らぎょうしょうにん)が那智の滝で観音菩薩を感得しその木像を造って安置したのが始まりです。

その後、生仏上人(せいぶつしょうにん)が3mの如意輪観音像を彫刻し、裸形上人の造った観音像を胸仏に納めて祈願所として本堂を建立しました。
本尊は普段秘仏とされていますが、御前立ち(おまえだち=身代わりとして安置される像)の如意輪観音像を参拝することができます。
この如意輪観音像は、輪王座(りんのうざ)という右膝を立て左右の足裏を合わせる独特の座り方をしており、頬に手を当てて安らいでいるようにも見える女性的な姿態をもつ優美な姿をした仏像です。
如意輪観音像の六本の手は観音菩薩の融通無碍の働きを表しており、「如意宝珠(にょいほうじゅ)」というあらゆる願いを叶える玉を手のひらに乗せています。
もともとは天界(神様の世界)を救済する仏で、中世には天皇の延命息災を祈る対象になり、天皇の護持仏としても信仰されていました。
境内の様子
熊野那智大社と神仏習合の過程で密接な関係を持つようになった寺院であることから、両社寺が一体となって発展してきました。
現在でも熊野那智大社の隣に位置しており、熊野三山の中でかつての神仏習合の時代の姿を今に伝える唯一の寺院であるということができます。
熊野速玉大社や熊野本宮大社の寺院は破却されてしまったよ


現在の建物は豊臣秀吉が1590年に再建したもので、桃山時代様式の建物として重要文化財の指定を受けている熊野地方で一番古い建造物として知られており、世界文化遺産としても高名です。
青岸渡寺にたどり着いた瞬間、お香の匂いが漂い、手水舎(てみずや)も花で美しく荘厳されており、参詣者を爽やかな気持ちにさせてくれます。

青岸渡寺境内からは、鮮やかな朱色の三重塔の向こう側に、那智の滝が深い緑色の樹林の中で落下しているところが見えます。
三重塔と那智の滝の滝口の高さをそろえて写真を撮ることができる格好の撮影スポットです。

公式サイト https://seigantoji.or.jp/